■第十七号■ 作庭家・重森三玲(みれい)

◇重森三玲の作った庭園で、もっとも有名なものといえば、京都・東福寺と松尾大社のものがそうであろう。

◇私がはじめて重森の庭にふれたのは、もうずいぶん昔のことであるが、東福寺のものであった。

◇ちょうど通り雨が上がったばかりのときで、市松模様の石が打ち水されたように濡れ、そのまわりに生えたスギ苔が玉のような雨の滴を抱いて、きらきらと煌めいていたのであった。

◇それは大方丈の北側にあって、なかなか情趣あふれるものであった。
テレビのCMや雑誌のグラビアにも頻繁に登場するので、ご存じの方も多いと思う。

◇東福寺には、大方丈の四方に庭があり、その四つの庭は”八相成道(はっそうじょうどう)”を表現されて、『八相の庭』と呼ばれているようである。

◇八相成道というのは、釈迦八相のことで、特に成道を重視していうようである。釈迦がこの世に現れて衆生に示した八種類の相のことで、降兜率(ゴウトソツ)・入胎・住胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅のことをいうらしい。

◇成道とは、成仏得道のことで、仏の悟りを完成することをいう。

◇東福寺・方丈の前庭には、パンフレットによると十八尺の長石を基本として、蓬莱、方丈、えい洲、壺梁(こりょう)の四仙島をかたどっているということである。

◇また荒海をイメージする砂紋によって、躍動が表現され、点観の移動による変化を意図されて創造されたようである。
こういう表現は不適切かもしれないが、あえて言えば、龍安寺の石庭が”静”であるとするならば、東福寺の前庭は”動”といったところだろうか。

◇その四つの枯山水の庭を、昭和13(1938)年に、重森が作庭したのであった。

◇やはり、京都の魅力は、名庭園が多いのが、その理由の一つなのではないだろうか。

◇重森は、明治29(1896)年岡山県に生まれ、若い頃から、華道と茶道を研究していたようである。
特に華道については、当時の華界を批判をして、昭和5(1930)年いけばな作家の中心的存在となり、”新興いけばな宣言”を行い、造形いけ花の先駆的な役割をなしたようであった。

◇それだけでは飽きたらず、なお発展させて、作庭にまで及んだようである。

◇そして、現代の『作庭記』ともいえる、全二十六巻(?)にもおよぶ膨大な『日本庭園史大系』を著したのである。
それは、日本の津々浦々にある著名な庭園や林泉を見て回り、実測調査をし、図面を起こし、一石一木に至るまでを書き留め、庭園学の集大成といえる著作集を出版したのであった。

◇重森は、よそ者には排他的な土地柄で、ましてや格式の高い京都五山のひとつである『東福寺』の庭園を創造したのである。それだけでも、彼の力量の大きさが如実に証明されていると思う。(京都市出身の私が言うのであるから、まず間違いないことと思う。)

◇重森は禅僧でも何でもなく、新進の作庭家なのである。

◇話はちょっとそれるのであるが、立原正秋という小説家を、私は決してきらいではないが、彼の作品で、重森の庭を、主人公に”生臭い”と語らせている長編があった。

◇私はそうは思わなかった。結局、私はその小説を読み通すことができず、今では、その題名さえ忘れてしまっている。

◇フィクショナルな小説であるから、退廃的な生き方をしている主人公に、立原があえて語らせたのかもしれないのだが、何らかの新しい”血”を移入しなければ、それはただの懐古趣味に陥らないだろうか。

◇また話は飛ぶのであるが、京都市の上京区に上御霊神社という由緒ある社があって、その近くに”酵母の家”というヘルスセンターのような、私的な医療施設のようなものがある。

◇ずいぶん古い話になって恐縮するのだが、その施設に私の亡祖父が通院していて、幼かった私はたびたび連れて行かれたことがあった。(その当時は”酵素の家”という名称だった。)

◇その施設には、酵素風呂といって、今なら全然平気なのであるが、緑灰色に濁った薬風呂があって、躰に良いからといって、祖父は私に何度も入るように薦めた。(私はそれが厭で、そこには行きたくなかったのであるが、その帰り道、彼は玩具や菓子を買ってくれたので、渋々ついて行ったのである。)

◇そこの庭園も重森が作ったということであった。

◇ただ、その施設は三十年ほど前に全焼して、重森の庭も灰燼に帰したのではなかっただろうか。

◇その当時、小学生の私に重森の庭の良さなどわかる術はなく、苔生す庭に青石の巨石があったかなあ、という程度の曖昧な記憶しかないのである。現在もそこには庭園はあると思うのだが、それも重森の作のものかどうかは、いまの私にはわからない。

◇重森は言った。
”大自然は神が作ったものであるが、それを神が所有しないで、神の所有から人間の所有にうつすことが庭園なのである。”と。

◇私は重森こそ、昭和に生きた”夢窓疎石”であり、”橘俊綱”ではなかったかと考えるのである。
                     
*参考文献『現代和風庭園=庭に生きる=』重森三玲著  誠文堂新光社刊



□ちょっと一言□

□すでに多くの読者の方はご存知とは思いますが、東武美術館が来年三月で閉館になるそうです。
昨年二月に閉館したセゾン美術館に続いて、池袋では二館目になってしまいました。
残念です。

□私は東武美術館には、以前、J*美リポートで紹介した『東大寺の至宝展』や、『大写楽展』、『宋磁展』などへ出かけました。
特に『宋磁展』は秀逸で、大阪や京都、はてはパリ、ロンドン、ソウルに行かなければ観られない、中国・宋代の陶磁器を一堂に出展されていて、いたく感動したことが、つい昨日のように想い出されます。

□館長さんや学芸部員さんが、どのような方々なのか、私にはまったく分かりませんけれども、生意気を覚悟で言いますと、センスの良さと慧眼の確かさを感じていました。
本当に惜しいです。

□デパートの売り上げが落ちて、経営が苦しいのは分かりますが、そのしわ寄せを芸術や文化のところに来ることに、憤りすら感じます。
と、怒ったところで、いまの私にはどうすることも出来ないのですが……。(東武鉄道さん、何とかならないのでしょうか?)
ますます潤いのない世の中になって行きそうです。
                             東 道譽

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